ちゃ太郎の足跡
気ままの日記
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ちゃ太郎の リスボン日記 16  2009.3.31

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3月31日 よる

今、夜中の1時。  
ただ今ホテルに戻りました。
フロントの彼と握手。
なぜ? それはね~~。

今日も「カルドヴェルデ」へ。
何も言わないのに、店主が「カルドヴェルデ」とハーフ・ボトルのワインを出して、にっこりだ。
壁際のフランス人若者グループや、
横のアメリカ人カップル(明らかに夫婦ではない)と話しながら、
リンダや、アントニオの歌を楽しむ。
途中で、ゲストのオバちゃま(70才を過ぎていると思われる)が登場。
時々声をひっくり返しながらも、堂々とした歌いっぷりで すごい。
11時過ぎ、アントニオが私を指名。
あの至福の40秒に、拍手喝采、やめられませんね。
リンダも「ファディスタ」と言ってくれた。 お世辞でも嬉しい。
「今日が最後だ」と言うと、リンダが、お別れにと「暗いはしけ」を歌ってくれた。
ありがたい。
「今度はいつ来るのか」と言われ、
「1年か2年後だろう。」と、別れを惜しんで店を後にする。

11時半。
そうだ、シウバにも別れを言っておこうと思い「ルーゾ」に行く。
あのテクニシャンのオバさまが歌っていた。
ヴィーニョ(ワイン)と言うと、ちゃんとハーフボトルが出てくる。
次は弾き語りのアニキ、うまいね~、
ギターが歓喜の雄叫びを上げてるのが伝わってくるね。

シウバが近づいてきて「今も、日本語で歌っているのか?」と聞く。
ここだと思い、「ポルトガル語でも歌えるよ」と言って、
あのあのあのあの耳もと作戦、、「夜のモーラリア」を口ずさんだら、
こっちへ来いと、従業員用の通路へ連れて行かれた。
そして、ギターのアニキが、トイレの便器に座り、オーディションの始まり。
キーを調節しながら1曲歌いきって、オーディション合格。「次だ」と言われた。
やったぜ。
次のヨラちゃんのステージの前座。

夜12時半、「ルーゾ」に響く、ちゃ太郎の声。

お客は10人ばかりだが、従業員や、歌手も聞いている。
「エ、ノイテナ、モ~~~ラ~~リーア!!」チャン・チャン。
シウバとアニキの チャン・チャンがキマッタ時は 震えたぜ。

「オブリガードー」二人と握手して、席に戻る。
「去年、アイデコが来たよ(アイデコとは、日本人ファディスタの草分け月田秀子さんの事。
 ポルトガルではチョー有名な日本人)」と言っていた、あのオバちゃまが、
私の前を通りながら、振り向かずに、小声で「ファディスタ」とささやいた。
「オブリガード」と、小声で答えた。
従業員たちも「ファディスタ」と言って握手。
「写真は撮らないのか?」と言うから、
「カメラは持ってないし、携帯も持っていない」と言うと、
「ワンダフル ジャパニーズ」だってさ。
「日本とポルトガルと、どっちが好きだ?」と年配のスタッフが聞くから、
「両方だ」と言うと、親指を出して「ボン(good)」ときた。
「今度いつ来るんだ?」「1年か2年後だ」

タクシーの運ちゃんに、4,6ユーロのところ、10ユーロ渡して、
フロントの彼と握手。

明日は、日本に帰るぞーーーーーー。

※画像ー4・ちゃ太郎ファドを熱唱す。
は、日本でのもので、リスボンでのイデタチでは、けっしてありません。

ちゃ太郎の リスボン日記 15  2009.3.30 

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3月30日 ひる

アンジョス、アロイオス、アラメダ、アレエイロ。
Aで始まる駅が続く、地下鉄緑ライン。
アラメダで降りるつもりが、アロイオスで降りてしまった。
紛らわしいだろ。
でも、毎週月曜日に利用するJR南武線には、
武蔵小杉、武蔵中原、武蔵新城、武蔵溝の口の武蔵4連チャンがある。
オアイコということで。
あらためてアラメダで降り、赤ラインに乗り換えて、オリエント駅へ。
ヴァスコ・ダ・ガマ ショッピングセンターと、11年前の万博跡地公園がある。
4年前に、夫婦揃って、ぎっくり腰になりかかった周遊トロッコは見当たらなかったが、
川辺(海辺に見えるが)を往復するだけの、ロープウェイに乗ってみた。
これも腰には良くないが、トロッコよりはマシってところ。
ポルトガル人は、世界一腰が丈夫なのだろう。
ひとりっきりのロープウェイの中で、ファドを熱唱してみる。
これ、いいかも。
到着前に「ハハハハハ…」と黄金バットのように(古い!!)笑ってみる。
いいかもしれない。

「パウロのカステラ」に入り、軽く食べて(寿司やシャケ弁もあるが、今回はポルトガル風味)いたら、
若い二人の日本人女性が来て、メニューで迷っていたので
声をかけたが、相手にされなかった。
香港マフィアにでも見えたのか。
売りとばしたりしないよー。
そう言えば、一昨日の若者たちも、別の町で一人旅の日本人女性に
声をかけたが、相手にされなかったっていってたなぁ…、
と思いながら、バイシャ・シアードで市電を待っていたら、
カイト君に会った。
「やぁ」 「あっどうも」
「どうしたの?」「おみやげ探しです」
「もう一人の彼は?」「別行動で買い物です。会いませんでしたか・」
「会ってないよ」 「これから何処ですか?」
「市電でコーヒー飲みに」 「3回目の店ですね」
「分ってるねぇ、彼によろしくね」
「わかりました」「じゃあね」
男っていいねぇ。
市電の28番で、ソパの美味しい行きつけ(と言っても3回目)のパステラリアへ。
入る時から笑顔だ。
「オブリガード」と言って店を出る時、
後ろから、「またどうぞ(だと思う)」と声をかけてくれた。
これも初めて、うれしいねぇ。

ちゃ太郎の リスボン日記 14  2009.3.30 

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3月30日 よる

「カルドヴェルデ」は休み。
「ルーゾ」へ。
ダニー・デビートが遠くから呼び込むので、
「オレだよ。」と言ったら、
「マフラーしてるから、分らなかった」なんてね。

入ると、あの“団体向けショー”の最後の方だった。
ボーイの一人が「この店で、モースト・フェイマス・ジャパニーズ」と言い、
ワインを頼むと「これを頼んだのを、覚えているよ」と、
ワインのハーフボトルを持ってきた。
3回目にして、大出世だ。
そして今日は、ついに、かぶりつきの席になった。
シウバのギターラと、あの兄貴のヴィオラのチョーチョーハッシのかけ合いは、
実にスリリングで、歌手のことを忘れてしまう。
これが「真打競演」だよ。
若い男性歌手も、声量はないが格調高い歌いっぷりだ。
ギターラのシウバが引っ込み際に、気づいて握手してくれたが、
ギター用のツメを付けたままで、ちょっと痛かった。
これも勲章のウチ。
インターバルの後は、あのオバちゃま。
1mの至近距離で聴くと、確かにうまい。
テクニックがあるから、超絶技巧の曲を選ぶ。
そして見事に歌いこなす。
声が全盛期の頃は、きっと凄かったに違いない。
隣のカップルが、視線を送ってきた。
よく見ると彼女は妊婦だ。
6ヶ月とのこと。
ポルトガル人かと聞いたら、カリフォルニアだと言う。
去年日本に来て、東京、横浜、鎌倉を周ったらしい。
「胎児にファドを、かぶりつきで聴かせるなんてシャレてるね。」
と言うと、親指を立ててニッコリ。
フィリップのそつない歌を聴いて、
妊婦のオナカにむかって手を合わせて健康を祈り、
これが最後かと思って、店の空気を思い切り吸って表へ出た。

地下鉄の長~~~いエスカレーターの下で、
若いカップルが、濃厚な愛の時間を過ごしていた。
彼の方が、降りて来た私を見たので、親指で合図したら、ニッコリ笑ってうなずいた。
今までいろんな人に応援してもらって来たが、こんな所で応援する側になろうとは。
早く帰って、寝ようっと。

ちゃ太郎の リスボン日記 13  2009.3.29 

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3月29日 ひる

時計を1時間、進めた。
今日から夏時間(サマータイム)。

フリーパスに3日分をチャージして、
メトロでバイシャ・シアードに行き、
休みの店を見ながら、
石畳をウロウロしつつ、
アルファーマに向かって歩き、
ドイツ人の乗る観光バスの溜まり場をすり抜けて、
ファド博物館でCDなどを買い、
同じ道を歩いて戻り、
パステラリアで水を買い、
店員から「シェーシェー(謝謝)」と言われて「オブリガード」と答え、
ポルトガル男性と日本人女性夫婦がやっている「パオロのカステラ」が休みなのを確認し、
工事中のコルメシオ広場の停留所で「ベレン行きの市電はここかい?」と
キスの合間に聞いて来たドイツ人カップルに「スィン、アキ」とポルトガル語で答えて、
10分待って、
やっと来た市電に乗り、
途中のカルヴァーリョの駅で 急に気が変わって、
慌てて降りようとしてステップを踏み外し、
でも 持ち堪えて平然と降り、

坂道を登って 国鉄「アルカンタラ駅」にむかい、
駅を横目に見て 更に坂道を登り、
クラート通りから左折、
ネセシダーテ通りの急坂に入り、
更に急な ポッソロ通りを登り、
更に急な パトロシニオ通りを登り切って、

サライヴァドカルヴァリョ通りから コエーリョダロシア通りの、
あのソパが美味しいパステラリアが休みなのを確認して、
歩いて プラゼレスにちょっと下り、
そこからバスに乗ってポンバル広場に戻るつもりが、
乗り間違って バスはカンポリデから北に進み、
見覚えのあるセッテ・リオスでやっとバスを降り、
傍にあるあの動物園の あのレストランで、
サーモングリルとビールで昼食をすませ、

メトロに乗って、
パルクで降り、
ホテルに帰り、
3時過ぎだと確認した時には、
とっても くたびれた。

書いてる私も くたびれた。

※ 志ん生の「黄金餅」をきいて下さい。

ちゃ太郎の リスボン日記 12  2009.3.29 

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3月29日 よる

昨日書き忘れたが、シャウトの達人おやじ・マジェルが、
2年前はなかったヒゲで顔面を覆いつくして、復活していた。
今日も「カルトヴェルデ」。
マジェルのシャウト、真っ最中。
衰えてないね、2年前のままだ。
40代にしては老けてる、60代にしては若い。50代って感じでもない。
(いくつなんだよ!!)
香川有見さん(?)は、アントニオに聞いたら、リンダという名前だった。
上手いね~。
そして、日本の若者の心を捉えた、あの娘はマリアだってさ。
(ポルトガル女性の半分は、マリアさんだと思う。)
いいよー、この娘は。
ズンズンと響いてくるね~。

隣の席の、ブラジル人女性(年配)2人といたオッさん(フランス人か?)は
ノリ過ぎて、店からペナルティー。
前のテーブルの若者4人組(ポルトガル人)。
その中の女の子はファド・マニアらしく、すべての歌を一緒に口ずさんでいる。
顔も体型も、ほがらかだ。
そこへ、若者2人が私の隣のテーブルへ。
25才と23才のイタリア人だって。
タバコを吸ってもいいか?と、私に聞くところを見ると、きちんと躾けられている25才だ。
23才のイケメン&ファンタスティック・ヘアーの彼は、既に酔いどれてて、ごきげんだ。

12時過ぎに、アントニオが歌い出した。
3曲目に私を呼び、あの至福の40秒。
歌詞を忘れた分、シャウトを豪華にして、よくウケた。
「チョー気持ちいい、なんも言えねぇ」(ちょっと古いか)。
アメリカン・コーヒーは嫌いだが、ポルトガルのコーヒーは好きだと言うイタリア人に、
コーヒーをご馳走。
また会おう、チャオー。

おっと、大事なことを忘れていた。
アントニオが、私を皆に紹介するから、などと言って名前を聞いてきた。
ウヒヒヒ、勝った。
「オレは、シャタだ。忘れやがって」と日本語で言ったら、
「オォ~、シャトー、シャトー」(間違ってるし…。でも、まぁいいか。
「シャタ」はポルトガル語としては、喜べない意味らしい。)

今日から“シャトー”で、ございます。

ちゃ太郎の リスボン日記  11 2009.3.28 

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3月28日 ひる

26→20→15  
この3日間の温度変化。
その上、乾燥と強風。
ということで、ヒジョーに寒い。
Tシャツの観光客は死にそうだ。

リスボンの目の前は、テージョ川(海ではない)。
大西洋に流れ込む手前で、川幅は広い所で15km、狭い所でも2kmはある。
その向こう岸の高い所に、両手を広げたキリスト像。
ブラジルのリオデジャネイロを真似た、110mの「クリスト・レイ」
行ってみよう。
フェリーで渡ればすぐだそうだ。
ところが「カイスドソドレ」という、音階のような所から乗るべきを、
「テレイロドパソ」から乗っちゃった。(2つの乗船所は、数百メートルしか離れていない)
500人は乗れそうな船内に50人程度。
ガイドブックでは「10分で到着」。
だが、着かないどころか「クリスト・レイ」がどんどん遠くなる。
25分後、どこかに着いた。
「バレイロ」という所らしい。
やれやれ、またやっちまったぜ。

折角だから、テキトーにバスに乗ってみた。
だが、フリーパスが使えない。
「ここはリスボンじゃないからね」と、
ドライバーが、初対面なのにニッコリしてくれたが、嬉しくない。
1,3ユーロ(170円)也。
茅ヶ崎駅から、アパート近くのバス停までと同じ値段か。
じゃ、15分位で終点かな。
そのまま40分、どこかの高台の団地に着いた。
風が強いので、広場の土埃がすごい。
マンゴーみたいな松笠が、カラカラ転がっている。マカロニ・ウェスタンか!
パン屋を兼ねた、パステラリアがあった。
コーヒーと甘い菓子パンを注文して、いつもの質問
「ここはどこ?」 
この瞬間が楽しい。
観光地じゃないところは落ちつく。
自分が異邦人であることに、安らぎを覚えるって変?
二度と来ない場所は、特に面白いじゃないか「失敗も成功のうち」。
店のオジちゃんやオバちゃんが、地図とにらめっこで、あーだこーだ。
「どこへ行きたいんだ」とオジちゃん。
「クリスト・レイだよ」
「車か?」 「バスだよ」
「陸路で行くのは難しいから、船着場に戻って、リスボンに帰れ。フェリーに乗り直せ」
「カイスドソドレか?」
「そうだよ、よく知ってるな。そこからフェリーに乗れ」
「わかった、ありがとう」
というような会話・・・だったと思う。
たぶん。
このオジちゃんと一期一会の会話、いいねぇ、うれしいねぇ。
この団地は「シダーデ・ド・ソル(太陽の町)」らしい。
バス停で寝ている犬もカワイイ。
「クリスト・レイ」なんて、どうでもいい。
この会話、この犬が旅の宝物だ。

帰ったぞー、リスボン。
いつも通る市電のルートに、国立古美術館があるみたい。
美術に興味はないが行ってみようっと。

あっ、またやっちまった。
美術館だと思っていた建物は、国会議事堂だった。

すぐ近くにエストレラ聖堂がある。
外からは何十回も見たが、入ってみるか(タダだし)。
正面から入り、次の大きなドアの向こうが高さ30mの礼拝堂ドームらしい。
横を見ると、小さなドアが開いている。
正面よりも側面を好む、マニアックな性格。
当然こっちだろ。
横の通路を入って行くと、正面に小さな部屋。
何かやってる。
覗くと、こじんまりした、でも美しい礼拝堂みたいだ。
神父さんが話をし、20人くらいが聴いている。
やったぞ、ミサだ。
ドアの近くの女性が、チラッとこちらを見たが、すぐに正面に向き直った。
みんな黒っぽい服を着ている。
神父さんの前の長い箱には白い布……エッ!本物の葬式?
目頭をおさえて、泣くふりをして横のトイレに。
でも、バレバレか、赤いシャツにGパンじゃぁね。
正面に戻り、礼拝堂ドームに入った。
とても立派で、厳かだが、本物の葬式には敵わない。
見ず知らずの方の冥福を祈る 観光客であった。

香港の中年(?)姉妹のとなりのテーブルで昼食。
「味はどう?」と、小声で聞かれて
「うまいけど、少し塩っぽい」「こっちも、そう」
「これからどこへ?」「サン・ジョルジュ城へ」
「寒いから気をつけて」「ありがとう」
アドバイスしちまったぜ。

闘牛場へ行ってみた。
昨日の「カンポ・グランデ(大きな畑)」の近くの「カンポ・ぺケーノ(小さい畑)」にある。
シーズンは4月~10月なので、今はやっていない。
赤いレンガのロシア正教会か、トイザラスみたいで、少し笑える。
中の通路から天井が見えた。
エッ、太陽の下でやるんじゃないの?
ガードマン以外は、誰もいない(当然か)。
あれ、地下がある。
降りてみよう。

なんじゃ こりゃ~~~~。

人・人・人・人・人 ひとでいっぱい。
大きなフードコートに、ショッピングモール、映画館もある完全なアミューズメントスペース。
100年以上前の建物の下を、開発商業地域にするとは
「黄昏の国」の看板を下ろしてもらおうか(そんな看板は上げてない?)。

2年前に滞在したホテルは、この近くのはず。
その目の前にグルベンキアン美術館がある。
美術に興味がないので(しつこいですか?)2年前には行かなかったが、行ってみよう。

超大金持ちの石油王、グルベンキアンさんが集めた、世界中の宝物があるらしい。
4ユーロ(500円)安い、さすが金持ち。
6時までという事は、1時間半か、ザッと見るだけだから充分だろう…って、
あるわあるわ、どんだけー!!
個人のコレクションだから、趣味が片寄っているが、その分徹底している。
エジプトの出土品を前菜に、ペルシャのカーペットの洪水、
一つだけでも建売が買えそうな、やきものがズラリ。
東海道五十三次も、ひと揃えある(らしい)、見事な細工の印籠(INROと書いてある)が、
夜店の陳列のごとくに並んでいる。
蒔絵の小箱もズラーリ。
これが、ここにあることが悔しい。
政治家さんよ、名所、旧跡と宴会の「研修旅行」もいいけど、ここにいらっしゃい、ここに。
別棟は、文化施設になっている(「ダーウィン展」をやっている)。
コンサートホールも2つあるし、野外劇場もある。
財団は、オーケストラと合唱団も持っている。
日本の財団よ、まろは口惜しいぞよ。
オーケストラのコンサートは4000~2000円。
フィラデルフィア管弦楽団の公演も、日本では2万円、ここでは6000円だってさ。
お金持ちは、気前がいいねぇ。スシ食いねぇ。

オ~~、外は木枯らしだぜ。

ちゃ太郎の リスボン日記  10 2009.3.28

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3月28日 よる

「あの~日本の方ですか?」
バイシャ・シアードの駅のエスカレーター前、
若者2人のうちの1人(香取慎吾似)から声をかけられた。
韓国人かなと思っていたので、驚いた。(リスボンで日本人に会う事は少ない)。
長野出身の友達同士。
立ち話も何なんで、人影も少ない(土日は休みの店が多い)レストランで、ビールで乾杯。
大学4年生らしい。
私と同じく成田事故の日に出発、スペインの親戚経由で3日前にポルトガルに来たらしい。
話しているうちに、彼らからトドメの一言、
「ファドに興味があるんです。」
「案内しますぞ、オジさんについてらっしゃい!」

勇んで「カルドヴェルデ」に。
彼らはTシャツで寒そうだ。
「さっきのバイシャ・シアードが銀座・六本木で、バイロ・アルトは歌舞伎町だよ」
などと得意げな私であった。
店頭でアントニオに紹介、初めてワインのフルボトルを注文する。
(弱いのでいつもはハーフボトル)
あの香川有見おねえさまは、やっぱり、やっぱり上手いね。
異国の地で、知らない日本人と素性を明かさずにポルトガルの話、ファドの話をするって、
サイコーだよね。
アントニオが昨日帰りがけに口ずさんだ所を、後で歌えと言ってきた。
「スィン オブリガード」やったぜ。
次は、あの若い娘だ。
いいよ、いいよ~。マチガイない。
日本の若者もファドの魅力が少し分かったのか、
それともその娘の魅力が分かったのか、聴き入っていた。
「いいだろー?」 「はい、いいですね」 若者は正直だ。

インターバルで団体(多分ドイツ人)が入って来た。
私の出番は無くなったかと思ったのだが、
歌い始めたアントニオが、2曲目のサビで私を呼んだ。
心配だったのか、耳元で歌詞を囁いてくれたが、
シャウト(雄たけびとも言う)が見事にキマッた。
拍手喝采。
若者にも「カッコよかったですよ。40秒ぐらい歌ってましたよね、すごい」と言われ、
無邪気に喜ぶオジさんであった。
「寝床」の効果もあったかもしれないけどね。
12時半頃、店を出て歩いた。
Tシャツの若者には申し訳なかったが「寒風が気持ち良かった」

世界で一番ファドが聴かれている国らしい、日本。
それは、アマリアどっぷりのファド。
アマリアから解放されつつある、ポルトガル。
名前も知らない二人の若者、香取慎吾君とカイト君(誰も知らないか?)。
ファドを よろしく。

ちゃ太郎の リスボン日記  9 2009.3.27 

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3月27日 ひる

ホテルのブレックファースト、周りから聞こえてくるのはドイツ語のみ。
ドイツ人にとってのポルトガルは、日本人にとってのハワイと同じみたい。

バスで、一昨日たどり着いた終点(B.P.クルズという所らしい)に行ってみた。
今日も、教会の白壁の藤がまばゆくも優しい。
あのパステラリアに行く。
笑顔だ。
コーヒーと水(ボトル)と大きなケーキで250円(安い)。
表ではオバちゃんが、若い娘たちに大声で説教してる。
娘たちはテキトーに聞いている。
オジさんたちは「いつもの事さ」風に苦笑い。

バス亭から、ちょうど来たバスに乗る。
どこに行くのだろう。

走り続けて、あっ、スタジアムだ(サッカーチーム「スポルティング」の本拠地)。
ということは、地下鉄カンポ・グランデ(大きな畑)駅だ。
幅200m、長さ1200mの公園があるとガイドブックに。
これかい?確かに幅200m。
しかし両側は道路で、車がバンバン。
これじゃ、やたらに広い中央分離帯だね。
でも、緑は多い。
ひな菊とシロツメ草のじゅうたんに、やしの大群。
着陸の為に真上を通過する旅客機、
池には鳩と、その10倍くらいあるバカでかいカモの熱い視線。
ベンチには寝乱れたオジさんたち。
別の池の周りは、じいさんたちの楽園(収容所)、
池の中央には、ヘルメットをかぶったような、でっかいオッパイ。
子供たちは囲いの中で、ガードマンの見張りつきで遊び、
じいさんたちは囲いの外で、誘拐の危険に晒されている。
1200mの緑の老人ホームを抜けると、街角に日の丸をあしらったレストラン、
その名も「サムライ」(ノーコメント)。

地下鉄で、市の中心部バイシャ・シアード(銀座、六本木)に。
表にテーブルを並べたレストラン通りを2往復する、が、
どのボーイもオレには声をかけない。
他の観光客には、しつこいぐらいに声かけしてるのに。
仙人のように見えるのかも。

よし、こうなったら動物園に行こう(意味不明)。
動物好きではないので、昔遠足で行ったか、家族で行ったぐらいで、
一人で行くのは初めてかも。
地下鉄を降りて、動物園のゲートへ。
ガイドブックでは15ユーロ(1900円)、
でも物価上昇が激しいので20ユーロになってるかも。
あれ、受付のシャッターが閉まってる。
ゲートは開いていて、子供づれが自由に出入りしている。
やったぜ、今日は何かの記念日で解放されてるんだ。
入ってみると、右の小さな遊園地は動いていない。
でも、そのそばにはワニの池。
あちこちで工事中。
そうか、工事中だからタダなのか。ラッキー!

レストランに入った。
平日の2時、100人は入りそうな所にお客は3人。
一人で切り盛りしているオジさんに、いろいろ頼んで腹一杯。
それで11ユーロ(1300円)。
店を出る時、オジさんに「今日はどうしてチケットなしで入れるんだ?」と聞いたら、
「ここは動物園じゃない。公園だ。いつもタダだ。動物園はあそこだ。」と
50m先のゲートを指差した。

16ユーロ払って「動物園」に入った。
広いね~。
午後2時30分。
どいつもこいつも、揃って爆睡中。
くしゃみの発作で、しばしベンチに釘付け。
サルの上下関係の厳しさを目の当たりに。
ヘビを見て思う。
神の存在を一番信じていないのは、彼らだろう。
客の殆んどいない一番奥の3頭の熊、広すぎる青空熊舎で、ドテーっとのびている。
その奥は、何とここで死んだ動物たちの霊園。
10才以上は少ない。ストレスが多いのかなぁ。
入園者が少ないので、動物と二人っきり(?)になると、つい話しかけてしまう。
オバマや、北朝鮮や、定額給付金の話などはしないけどね。
アッシジのフランチェスコも、鳥に話しかけていただけかも。
それを信者が「鳥と話が出来る」と勘違いして、伝説になった(伝説とはそんなもの)。
ウチのかみさんも、飼い猫のミミとよく会話しているが、伝説になることはないだろう。

園内一周のゴンドラがあった(立って乗る、二人乗りのリフトで、けっこう怖い)。
普段のオレは乗りません。
しかし、動物と会話した後なので、よし乗ろう。
階段を駆け上がったら、上の黒人の係員が「ダメ」の合図。
何?年令差別か、あのじいさんも乗ってるじゃないか、それとも人種差別?
エッ、サイダー?持ってないぜ。
エッ、サイーダ?あっ、サイーダ(出口)。
ハイハーイ、向こうから出直します。
ハ・ハ・ハ・ハ笑ってごまかす日本人のオヤジだった。
このゴンドラは超オススメ。
動物園だけじゃなく、あの公園部分の上も通過し、現在、立入禁止地域も通過する。
何とそこにラクダが3頭(パンフには載っていない)。
ラクダがいたんだ~。

初の“ひとり動物園”に3時間も。
ありがとう、アッシジのフランチェスコ。

ちゃ太郎の リスボン日記  8  2009.3.27

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3月27日 よる

アントニオが、3日前の席(階段の下)に案内してくれた。

あの、おねえさまは、やっぱりうまい。
それも並みのうまさではない。
粗さがしの得意な私にも、粗が見つからない。
ファド歌手ではないが、香川有見さんぽい。
ファドは、西洋、東洋、南米、アラブなどの合体なので、めまぐるしく微転調する。
そのポイントを的確に押さえて、あとは自分流に大きく歌いくずす。
いいファディスタは、何気なくくずしていてもポイントは外さない。
香川さんのファドは、安心して聞いていられる。

2人目はアントニオ。
私を「アミーゴ(友人)」と紹介、
しかし、まだ「シャタ」という名前は思い出さない。
こっちも意地になって教えない。

そして3人目の若い女性。
すご~~~~い、こんなのがいたのか。
彼女はいいねー。
まだ粗削りだけど、磨けばいくらでも光そうだ。
バツグンの押しと引き、そのそれぞれが生きている。
なぜ「カルドヴェルデ」にはいい歌手が来るんだろう。

そう言えば、今日は「カルドヴェルデ」で「カルドヴェルデ」を始めて注文。
2年前は「カルドヴェルデ」がスープの名前だとは知らず(意味は緑のスープ)
8日も通って、一度も注文しなかった。
ポルトガルの定番スープで、日本ではワカメのみそ汁か?
ここのは、タコが一切れ入っている。
これがうまい。

帰りがけに店の外で、
アントニオの十八番「壁にも言わない」を、彼の耳元で囁いたら
「アミーゴ!」と言って抱きしめてくれたが、
まだ「シャタ」は思い出さない。

ちゃ太郎の リスボン日記  7  2009.3.26

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3月26日 ひる

やっちまったぜ!
昨日の森林浴をもう一度と思い、
今日は、コロンボ・ショッピングセンター前から、ベレン方面行きのバスに乗った。
これが悲劇の大誤算。
激混みの立ちっぱなし。
しかも気温が異例の26度、若者はTシャツ、
こっちは朝夕の寒さに備えて冬用のジャケット。
「軽井沢ガマン会ツアー」となった。
終点近くの人体モニュメントは、高さ2m、円空仏のような彫りかげん。
でも、暑くて悟れねーよ。

パステラリア(田舎の駅スタンド)で、コーヒーとベーコン揚げパンを食べて、
市電15番で市内に戻り、混んでいる市電28番に乗り換えてエストレラ方面へ、
というヒマとしか思えない行動をとる。(これがパックツァーにはないDAIGO味)
終点の墓地まで行くはずが、エストレラ聖堂前で運転士が降りてしまった。
2年前にも、同じ事があった。
市電は運転士の気分でやっているのだろうか。
みんな降りたところへ運転士が乗り込んで、降りなかった2人の客を乗せて出発。
いやがらせか?歩こう。

目的地は、坂道を登ること7分の所のパステラリア(田舎の…)。
昨日立ち寄ったとき、思った以上にデカいチキンカツサンドと悪戦苦闘していたら、
近所のオバちゃん達が、ソパ(シチューのようなスープ)を食べはじめ
「うまそうだな~」と思い、今日の予定に入れておいた。
“やさしさのかたまり”のような店主は、昨日の日本人を覚えていて、
ニッコリしてくれた。
(ポルトガル人は、初めての人にはニッコリしない。)

「ビカ(珈琲)と〈日本語〉ソパ ポルファボール(おねがい)
おお〈日本語〉クロケット、ドイス(コロッケ2個)ポルファボール。」
野菜クリームシチューのようなソパ、うまかった。
コロッケもうまいが、小さいのにかなりの重量感で、けっこう苦しい。
見た目で、あなどってはいけないね。
汗だくの ニッコリ「オブリガード」となった。

一回目は不審人物、2回目は常連気分になれる。
いいねぇ ポルトガル。

※ 画像ー3は、岐阜羽島駅前の「円空仏」で、リスボンのものではありません。